2008年02月15日
日本コロムビア
コロンビアじゃないんですよね。
コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社 (Columbia Music Entertainment, Inc.) は、1910年(明治43年)10月1日に作られた、日本で最初のレコード会社である。長らく演歌・歌謡曲や、子供向け番組のアニメソング、伝統芸能や学校音楽教材に強かったが、2002年以降は特にJ-POPにも力を入れている。
発音が似ているためか「コロンビア」と誤記されることが非常に多い(なお、コロンビアの英字表記は「Colombia」であり、コロムビアとは明確に区別されている)。
昭和期には美空ひばり・石川さゆり・島倉千代子・都はるみ・藤山一郎・舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大御所が多数所属する名門レコード会社であり、買収したDENON(デンオン)ブランドによるコンポーネント機器などの発売や、世界初のPCMデジタルレコーディングを実施するなど音響機器メーカーとしての顔も見せていた。長きに渡り、日立製作所が筆頭株主による日立グループの一社であった。
自社でCD、DVDディスクの大規模な生産設備をもっている数少ないレコード会社であった(他にはビクターエンタテインメント、ソニー・ミュージックエンタテインメントなど)。但し、2005年にプレス工場は子会社とした上で売却している。
平成期に入るとavexの様なミリオンセラーを誇るキラーアーティストの不在と、他社と比べて積極的ではなかったJ-POP部門でTHE YELLOW MONKEY・ハウンド・ドッグ・観月ありさらオリコンチャートに入る複数のアーティストが1997年前後に他社へ次々と移籍するも、代わりの新人アーティスト発掘に出遅れたこと、歌謡曲部門では氷川きよしを除いてヒット曲に恵まれなかったこと等による売上減少が続いて次第に経営不振に陥ったため、2001年5月に日立製作所と主力取引銀行(第一勧銀・三和銀など)の意向により、企業再生ファンドであるリップルウッドの手に移る事が表沙汰に決まった。
これに前後して、J-POP部門を1998年に分社化した株式会社ヒートウェーブ(HEAT WAVE)が2001年3月に債務超過に陥り、清算の上コロムビアに吸収され、同年8月には赤坂4丁目の本社屋の不動産(現在高級マンションとなっている)を売却し、六本木移転まで賃借する形式をとった。
そして、同年10月1日に音響機器部門(DENON)をデノンとして分社化(日本コロムビア完全子会社)。即座にリップルウッド中間持株会社の「ニューデノン」(98%・59億円出資)と日立(2%・1億円出資)にデノン持株分を日本コロムビアが売却することで60億円を調達。さらに事業分割後の日本コロムビアは同日に第三者割当増資によって65円の優先株を9230.8万株発行し、匿名組合出資ファンド「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」(リップルウッドが8割、第一興商と三菱商事が残りの1割づつ出資)に対して83%、日立製作所に13%を割り当て、投資ファンドが筆頭株主(全体の41.66%出資)となる。この時点で日立製作所の持株比率が全体の2割強となり日立グループから脱退した(これ以前に日立へ累積債務の引換に41億円相当の普通株が割り当てられている)。100億円規模の資金調達が実現した結果、財務状態は健全化。当時の株価が200円前後で推移したため、普通株に転換出来ればこの時点でリップルウッドに含み益が発生しているが、実際には2002年にニューデノン持株分全てを日本マランツへ売却(のちに経営統合)した事により100億円規模の莫大な利益を得る事になった。2002年7月にもリップルウッドを主な引受先とする68億円分の普通株発行により資本を増強している。
業界経験者を社長に招致したことで、J-POP部門のアーティスト育成に本格的に乗り出すようになり、売上は微増傾向となっている。しかし入れ替わりに制作部門を含めた数百人規模の社員を対象にした希望退職者募集と音楽事業以外の子会社を売却するなど大胆なリストラを行った。
(以上、ウィキペディアより引用)
やはりこの会社も買収というキーワードなんですね!
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